上蒲刈島の思い出

 父と、初めて寝台列車に乗ったときのこと。今は廃止されてしまった「あさかぜ1号」に乗り、広島を目指した。20系3段式の寝台は、今思えばかなり手狭だが、当時の私には斬新だった。

 東京の発車が宵の口のせいもあり、座席車で出発。寝台の組み立てまでは、1コンパートメントに最大6名の客が顔を合わせた。私の列は、上段で窓側が私、中段中央が父、そして、下段通路側に若い女性が乗り合わせた。
 弁当を食べながら、何かを話しかけられ楽しく談笑したが、内容はよく覚えていない。ただ、一人っ子の私にとって、つかの間、姉のように優しくしてもらったことだけが鮮明に記憶に残っている。広島県の上蒲刈島に帰省する大学生だった。

 楽しい時間はあっという間に過ぎ、翌朝、尾道で彼女は下車した。早朝、薄暗いホームに下りた彼女は私たちに手を振り、列車の出発を見送ってくれた。私も、彼女の姿が見えなくなるまで、窓に顔を押し付けていた。

 あれから40年弱。上蒲刈島の名を忘れたことはなかった。どんなところなのか、どういうところで優しい人が育ったのか、いつか行って見たいと思っていた。そして、今年の正月、実現させた。

 呉、仁方を過ぎ、安芸灘大橋を渡り下蒲刈島へ、さらに橋を渡り上蒲刈島へ。瀬戸内の島の風景はどこも穏やかで、この島独特のものはわからなかったが、心の隅にくすぶっていた事を実現できた満足感があった。
 港近くの神社前で、しばし休憩。初詣客もちらほら見える。隣の島へ向かうフェリー乗り場に人が集まる。無人のスタンドでは、一袋100円で10個以上入ったミカンが、並べられている。正月休み、旅の空・・・  そんなせいもあるのだろうけど、島の時間がゆったりしているのがわかる。優しい人の育った環境に触れた。

 今となれば彼女も50半ば、きっと幸せな生活を送っているだろう。どこかへ嫁いだだろうけど、正月の帰省で、彼女とすれ違うことができたかも知れないと思うと、ちょっと胸が熱くなる。子供のころの思い出にこんな気持ちを感じるのは、まだ初心な自分があるのだろうか。だったらいいんだけど。

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