偽善

 無心になれない自分に、嫌気が差す。

 仮に、良いことをしても、打算があるように思えてしまう。「これをしたら自分に良いことがあるかも・・・」とか、「仏様が見ていてくれて、今度は何かのご利益を自分に与えてくれるかも・・・」など、自分に対する対価のようなものを期待しているように思えて、嫌になる。その上に、年を取ったせいか、それを心の中で苦笑する余裕まで、できてしまった。

 人に見られる可能性のある親切を、私がやると何もかもが偽善になる感じがしてならない。かと言って、明らかに助けが必要なものを、見逃すほど間抜けでもない。やるのならば、誰にもわからないように実行しろ、ということなのだろうか。

 そんな中でただひとつ、偽善ではないと言い切れることがある。それは、母の手を取って、一緒に歩くこと。当たり前だが、これに対価は期待していない。転ばれては困るから、一緒に気をつけて歩く。夢中で。

 私は演技派ではない。俳優になれない理由を、これにしておくか。

 

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この記事へのコメント

risa
2007年05月01日 22:26
こんばんは♪
偽善者というと、高校生の頃、現国で、偽善者と善良者との違いについて習った事を思い出します。
遠い記憶ですが、偽善者が見返りを求めて行う行為が定義だけれど、それを何度も繰り返すうち、世間はそれを善良者とみなし、手本とされるようになる時、それは誰がなんと言おうと善良者になる・・・とテストで書いたような?!・・・見返りを求めるもよし、見返りを求めないのもよし、その行為そのものが善良への道なのだそうです~~?!
なんて、どこかの宗教の勧誘ではありません。悪しからず・・。

PS,手を繋ぐのはいいことですよね、私も1昨年までは下の長男の塾帰りの際、駅から一緒に手を繋いでました。(夜遅くて人がいなくて、2人とも怖くて走ったりして・・)
さすがに、中2になり手を繋ぐことはなくなりましたが、いつか、老いてまた、彼と手が繋げるかも?!とちょっと期待しておきます♪。
ねこ様
2007年05月02日 08:39
 risaさん、コメントをありがとうございます。  

 年を取ってきて、「考えるより行動」というのが、若いころと比べると実践しにくくなっていると実感しています。社会的な責任を負うのだから、ある意味、当たり前だと思いますが、守りに入りすぎて、他のことに対し無関心になったり、気がついているのに知らん振りをしてしまうことがないか、注意しなければならないと思っています。  

 今回、ふと脳裏に浮かんだこの疑問は、やはり、考えが先に立って、行動を起こしにくくなっている自分の表れでないかと感じます。体力の低下も否定できませんので、きっとそのあたりから改善が必要でしょう。 

手をつなぐと、相手の体温や感情を感じ取れますね。また、信頼関係も生まれるのではないでしょうか。嫌だと思う人とは、絶対にそういうことはしませんから・・・。年頃の女性と手をつなぎたいということはいつも思っていますが、今じゃなくちゃできないほうを先にやる・・・  この考えは、私にしては珍しく賢明な方ではないでしょうか。
紋次郎
2007年05月10日 15:07
お久しぶりです!
打算があってもなくてもそれが「人間らしさ」ではないかと私は考えてますよ?動物は打算も親切心もありませんから~(笑)
誰かが見ていても、見ていなくても相手が喜んだりすると、そこに親切は成立するものなんですよ。

確かに子供を抱くのも、手を繋ぐのにも打算は含まれてないですね。手を繋ぐと言うことは、転ばないようにという事もありますが「転ばないように」の中に、「私にとって愛しい存在が」転ばないようにと言う意味が在る様な気がします。
何気なくしていた、されていた「手を繋ぐ」と言う行為、母親になってやっと意味を知ることができました。



ねこ様
2007年05月11日 09:12
紋次郎様、ご来訪ありがとうございます。お元気そうで何よりです。

誰でも、多少の打算は存在するものだと思います。「当てが外れる」という言葉は、ここが元ですよね。置き換えれば、「期待」という言葉も当てはまるでしょうか。こうなると、だいぶ感じ方が変わります。

何かをしたいと思うが、邪念がどうしても顔をのぞかせる。それが、自分の理想としている美学と矛盾することに珍しく気がつき、偽善という言葉を思い浮かべたような気がします。そんな中、行動を止めてしまわないことが、多少なりとも、自分が救われている理由だと信じています。

動物には、確かに打算も親切心もありません。あるのは本能だけでしょう。しかしながら、物事の本質はこれに尽きると思います。私には難しいことはわかりませんが、本能の原点は、「生き続ける事」「子孫を残すこと」のはずで、今、これが欠け始めていることは、重大だと感じます。この大事さを後世に教えていかなければならないのは、きっと我々ですね。

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