心ないコメントとは?

 個人の好みはそれぞれある。自分が「これは素晴らしい」と思っても、他人にすれば何とも思わないものもあるし、他人が絶賛していることも、こっちにしてみれば、バカバカしいものも多々ある。それで良い。ただし、何が何でも自分の気持ち、考えを公の場で表現しなくても良いのではないか。

 とある方が、生後数か月の障害がある子ネコを大事に飼っていた。放置されていたのを見つけた時、なぜか後ろの両脚が切断されて(・・・なのかはわからない。そうでないことを今も願っている。ただ、事実、後ろ脚の相当の部分が無かった。)いた。足の問題以外は健康で、他の飼いネコ達と元気で暮らしていたが、どうしても足の傷が癒えず、その方は頻繁に獣医に連れて行った。「静養」という意味は通じないので、いつも通り動き回ってしまい、治りかけている傷口が再び悪化してしまう。繰り返すうち、脚を完全に切断しないと命にかかわるとの判断から、その手術を受けさせた。なんとか持ちこたえ、これからきっと良くなっていくだろうと心から願っていた。

 しかし、3日しか子ネコの体力は持たなかった。当のネコを始め、飼い主、獣医さんの努力が実らなかったのが本当に残念で悲しく、私も涙を流した。

 飼いネコ達のことを書いているその方のブログには、本当にたくさんの追悼コメントが寄せられた。ネコ好きの人たちからのものが圧倒的だったが、残念ながら命を落としてしまった生き物を気の毒に思うのは、当然と思う。そういうことになってしまった当初の原因が、もしも人間にあるのならば、なおさらだ。

 翌日、そのブログに「心ないコメントは削除させていただきました」とのメッセージが掲載された。当然、飼い主が書いたものであるが、それを読み、あっけにとられた。

 ネコ好きの人がいれば、嫌いな人もいる。考え方、生き方が私とは全く違う人もいる。むしろ、その方が多いはずだ。これらは当然である。しかし、今回、この飼い主に起こったこと、また、事態の推移からして、この段階で「ネコは嫌いです」とか、私が察するところ、命の尊厳を脅かす趣旨のコメントがあったと思うが、それを主張する必要があるのか?

 そんなことをするのは、匿名性の高いものを利用しないと意思表示のできない、気の小さい、殻にこもった輩の仕業に決まっている。

 腹立たしいが、それぞれの考え方としては許さなければならない。ただし、私は絶対にそうはなるまい。もちろん、今までだってそう生きてきたが、何を失ったとしても、そのことだけは絶対に忘れないように生きてやる。

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