住職の涙

 得意先の工場長のお母様が亡くなったとの連絡を受け、弔問に出かけた。

 岩手県の山あい、閑静な場所に立派なお寺がある。ここを訪れるのは2回目。初めて来たのは半年ほど前、このお寺の住職であった工場長のお父様の葬儀だった。続いてしまった不幸に、こちらも気が重い。

 お寺を切り盛りしていた方の葬儀だから、多くの檀家が参列し、本堂には200人近くが集まった。4人のお坊さんの読経は1時間ほどで終了し、檀家総代の挨拶、工場長の兄である現住職の会葬御礼と続いた。

 住職だが、喪主としての挨拶だから法話はない。急な死を迎えてしまった経過を説明され、無念さに涙を流された。私を含め、多くの人が目頭を押さえた。

 お坊さんと言えば、ついついお葬式を思い浮かべる。滞りなく式を進めると同時に、力を落としている遺族を励ましてくれる存在と信じている(それでも人間だから、いろいろな方がいるのはそれなりに知っているが…)。言い換えれば、冷静沈着な方と思っているが、この時の涙はそれを覆すものだった。死に接することに慣れているはずだが、どれだけ宗教のことを勉強してきた人でも、身内の死は別だろう。凡人の私と共通することを見つけ、お坊さんを身近に感じられた。

 開祖は「修行が足りん」とでも言うのだろうか。喜怒哀楽は「迷い」と説く宗派もあるが…。私など、迷いの連続だ。

 本当は、元気な時にお話しができれば良かった。しかしながら、縁あって葬式に参加できたことを光栄に思う。私なりに、故人に思いをはせながら、静かな土地を後にした。

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